赤い糸

一年前カンボジアを旅した時に訪れたアンコールワット遺跡の中で、
旅行者達のいない場所にひとり迷い込んでしまった。
神々のレリーフに押されるようにずんずんと進んでいくと、一人の老人に出会った。
目の前に現れて座り込んだ私に柔和な顔でその老人は、
私の頭の上に数枚の木の札を当てて札の間に鉛筆のような木の棒を挿し
そこを開いて札を読み始め、そして私の右手に赤い糸を結んだ。
「この糸が切れるまで仏様が守ってくれるだろう」とカンボジア語
言ったような気がした。
日本に帰ってからその糸は洗濯の時も、湯に浸かる時も、
ロクロを回す時にもしっかり私の右手首にあった。
時には「赤い輪ゴムを外し忘れているよ」と注意されたり、時には母の逝った日にもあった。
茶会の時など着物の袖から見えるのでテープで腕に貼り留めたりしておおじょうした。
細い糸なのに1年間切れることなくしっかりと手首に付いてくれていたのに、
4月になったある日突然スルリと私の腕から滑り落ちるように切れた。
本当にビックリ!引っ張っても切れなかったのに・・・
思えばそれはやっと私が元気を取り戻した時だった。
赤いこの糸に守られていたのだろうと実感した。